日本植民地教育史研究会

日本植民地教育史研究会のサイトへようこそ。本研究会は1997年3月29日に設立されました。

2012年03月

年報14号  (仮題)植民地・こども・「新教育」 3月発行

巻頭言(西尾達雄)

Ⅰ.シンポジウム 植民地と新教育―1920年代を中心に―
 シンポジウム開催趣旨 (佐藤広美)

『南満教育』における新教育の思潮 (山本一生)

『台湾教育』と『第一教育』に見る新教育  (岡部芳広)

植民地期朝鮮における「新教育」  (精)


Ⅱ.研究論文

  日本統治下台湾の「国語講習所における社会的指導の実際
   -新竹州「関西庄国語講習所」の日誌(1937)より―        藤森智子
   

植民地期朝鮮における初等教科書の‘伝記物語’の考察

    ―‘人物の目録挿絵の特徴を中心に―      

  植民地下における朝鮮人母親の「皇国臣民」化と「国語」教育  有松しづよ

  「満洲国」初等教育就学者数の推移とその分析           黒川直美

    「昭南島」における「文化人」―こども向け新聞からの考察―   松岡昌和
  
     旧南洋群島公学校補習科教科書『地理書』をめぐる諸問題

   ―委任統治政策との関わりにおいて―             小林茂子

Ⅲ.研究資料   

   在日コリアン一世の学校経験―李殷直氏の場合―    李省展・佐藤由美・芳賀普子
  
  小原國芳の旧外地における新教育啓蒙活動について
   白柳弘幸


Ⅳ.旅の記録

台湾教育史遺構調査(その4                   白柳弘幸

   
   朝鮮人学徒「志願兵」たちの記念碑「1.20碑」
        芳賀普子

書評

稲葉継雄著『朝鮮植民地教育政策史の検討』         佐藤由美

   
   国分麻里著『植民地期朝鮮の歴史教育』
           佐藤広美

.図書紹介


笹川紀勝他著『日本の植民地支配の実態と過去の清算

 ―東アジアの平和と共生に向けて』                 西尾達雄


   王徳威著『叙事詩の時代の抒情 江文也の音楽と詩作』          
岡部芳広

   阿部洋編著『日本植民地教育政策史料集成(台湾篇)』第95巻~第106
    弘谷多喜夫


   上甲まち子他著『植民地・朝鮮の子どもたちと生きた教師 上甲米太郎』        
       佐野通夫

彙報 (白柳弘幸)


編集後記 (岡部芳広・佐野通夫)

1部    一般発表  ~2日目 、3月18日(日) 9時~


論題 植民地台湾の公学校における裁縫教育と新教育

―木下竹次の裁縫学習法を手がかりとして―   滝澤佳奈枝(東京日語学院 職員)

本稿では、日本による植民地統治後の学校教育によって、一度は規格化された裁縫教育の内容が新教育の影響を受けてどのように変化していったのかを木下竹次の裁縫学習法を手がかりにしながら考察し、公学校の裁縫教育において新教育とはどのようなものであったのか、その一端を明らかにしていきたいと考える。


論題 台湾植民地時期初期の日本語教育に関する研究

―伊沢修二の教授法に背景について―  林嘉純(拓殖大学大学院 言語教育学専攻)


伊沢修二の教育理念は米国の教育理念と深い関係がある。そして伊沢は米国のマサチューセッツ州師範学校に留学しているうちに、オスウィーゴー運動の背景と大きな関連がある。この運動の主旨とはペスタロッチ原理の教授法を唱導すること。この運動の影響で、米国の師範学校、日本国内の教員養成までも深い関係がある。この影響を受けた伊沢は、台湾初期の日本語教育に、どのくらい影響を与えたかについて考察してみる。

2部    学位論文 報告  ~3月18日(日)10時半~


白恩正(創価大学文学研究科社会学専攻修了)

○論文名

日本統治下朝鮮における地理教育に関する研究―地理教科書の分析を中心に―

要旨

 本研究は日本統治下朝鮮における地理教育が、日本の国家的運命にどのように翻弄されてきたかを地理教科書を対象とし時系列で追ったものである。朝鮮の地理教科書は植民地であるがゆえに実験的性格による科学的・合理的側面を持ちつつも、異民族であるがために皇国主義的教育がより徹底的な形で現れたことを示している。地理教科書編纂を巡って、一方では、国家主義的な教育目的に迎合しようとする政治的側面と、他方では、地理学特有の合理的思考を維持しようとする科学的側面とが存在し、両者の間には激しいせめぎ合いや駆け引きが起こっていた。要するに、内容面で政治性を出せば出すほど形式面では科学性を尊ぶ。朝鮮の地理教科書は日本の国定地理教科書のみでは把握し難い、地理科の科学的原理重視から政治的原理重視へとの内容変動を最も現していることを明らかにしたのが本研究である。






シンポジウム「植民地と新教育~1930年代を中心として」の開催趣旨

          

代表・西尾達雄(北海道大学)


20116月にシンポジウム「植民地と新教育~1920年代を中心として」を開催しました。

このシンポジウムのコーディネータを務めた佐藤広美は、

1)  これまでの新教育研究の特徴を踏まえて「植民地と新教育」を研究する意義を確認し、

2)  10年代の日本における新教育と体制危機との関わりから20年代の新教育の展開と30年代の新教育の「変質」との繋がりを問い、

3)  民本主義者吉野作造の批判意識と比べて、なぜ新教育あるいは教育の側からの植民地への批判意識が欠如したのかを問う、

という分析視点を提示しました。


 これに応えて、三名の報告者が、当時の
「教育会」の機関誌である『台湾教育会雑誌』(岡部芳広)、『文教の朝鮮』(韓炫精)、『南満教育』(山本一生)にみられる1920年代の新教育に関わる論文や記事を分析し、地域間の違いや共通性などを導出しました。限られた資料から上記の課題を解明することは困難ですが、ある特徴を明示するものであったと考えます。まず一つは、台湾、満州では1927年以降雑誌に掲載される論文等が急激に少なくなるということです。その背景の検討が今後の課題の一つです。もう一つは、三つの地域ともに新教育の影響を受けた実践が確認できましたが、それらは主として現地の日本人教育として実施されたことです。これはなぜか、検証する必要があるということです。さらにもう一つは、新教育に対する政策的対応でした。満州では「現地適応主義」の立場から行政機関が副読本を作るなど積極的に政策として推進したのに対して、台湾や朝鮮では「上からの政策としてではなく下からの現場の実践」として展開したことでした。この違いが何を意味するのかを解明することも課題として残されています。

ここで示された「教育会雑誌」を通してみた植民地における新教育の影響を一つの成果と捉えながら、さらにもっと広い視野から各地域における20年代の新教育運動に対する理解を深め、さらに30年代以降の展開過程を見ていきたいと考えています。

そこで、今回のシンポジウムでは、


1)   
30年代の日本、台湾、朝鮮における学校と社会における教育の発展状況を押さえながら、

2)    それぞれの地域で新教育運動がどのように展開し、

3)    20年代までとの違いがあったのかどうか、

4)    あったとすれば、その相違の意味が何なのか、それは「変質」といえるのかどうか、を考察し、

5)    これらを踏まえて地域間相互の影響を比較検討したい、


と考えています。


以上

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