日本植民地教育史研究会第27回研究大会は、
対面(@東洋大学)とZOOMのハイブリッド形式で開催いたします。
対面(@東洋大学)とZOOMのハイブリッド形式で開催いたします。
日程:2024年3月16日(土)
対面会場: 東洋大学(白山キャンパス)6312教室 *6号館(西門が便利です)
対面会場: 東洋大学(白山キャンパス)6312教室 *6号館(西門が便利です)
【会員の皆さんへ】
・当日までに、参加形式(対面 or オンライン)についてお問い合わせする可能性があります。その際は、ご協力をよろしくお願いいたします。
・当日までに、参加形式(対面 or オンライン)についてお問い合わせする可能性があります。その際は、ご協力をよろしくお願いいたします。
・zoomのURLや発表の配付資料は、開催日直前に、会員全員にメール配信します。
・zoomのURLや配付資料は、外部に出さないようにしてください。(転載・転送不可)
※ オンラインでご参加される場合は、当日、直接Zoomにアクセスしてください。その際、会員名簿にご登録のお名前の表記でご表示くださるようお願いいたします。
【非会員の皆さんへ】
・参加ご希望の方は、申込フォームより、3月14日23:59までにお申し込みください。・大会前日をめどに、zoomのURLやお願い事項などをお送りします。
<3月16日(土)タイムテーブル>
報告1)宇賀神 一 会員(西九州大学)
「竹中憲一の仕事―満洲教育の基礎的研究を中心に」
「年報」第24号で竹中憲一著『満州教育史論集』(緑蔭書房、2019年)を紹介した際、「『満州』で展開された教育を考える場合、いつの時期を対象にするか、どの地域に注目するかにより様相が異なるため多角的な必要になる。そうした『満州』教育史をめぐり。著者の関心は広範である」(215頁)と書いた。発表では、制度的な基礎情報の整理、教科書の復刻、インタビュー調査など「広範」な竹中氏の仕事を跡づけていく。
報告2)山本 一生 会員(東洋大学)
「槻木瑞生の仕事-民衆の「心のひだ」に分け入る満洲教育史」
槻木瑞生は「日本旧植民地における教育-1920年代の「満州」における中国人教育を中心として」(『名古屋大學教育學部紀要教育学科』20号、1973年)を発表して以来、確認できた限りで69本(うち満洲教育史47本、朝鮮族14本、仏教8本)の満洲教育史関連論文を発表し、精力的に研究してきた。槻木の目線は日本/中国といった国家間同士の関係ではなく、地域に住む具体的な人々に注がれた。槻木は度々、「心のひだ」という表現でこの目線を語っている。そこで本報告では「心のひだ」を通して、槻木が行った研究の意義を捉え直すことを目的とする。
報告3)丸山 剛史 会員(宇都宮大学)
「原正敏の仕事-職業技術教育史研究はなぜ満洲に関心を寄せたのか」
- 9:30〜 開会の挨拶
- 9:35〜10:20 研究発表1 楊慧会員(神戸大学大学院生)
- 10:20〜11:05 研究発表2 合津美穂会員(信州大学非常勤講師)
- 11:05〜11:50 研究発表3 王詩淇会員(九州大学大学院生)
- 13:00〜16:00 【シンポジウム】満洲・満洲国教育研究の固有性と独自性を考える (佐藤広美会員・宇賀神一会員・山本一生会員・丸山剛会員)
- 16:00〜17:00 総会
***(午前)研究発表***
発表2)合津美穂(信州大学非常勤講師)
発表1)楊慧(神戸大学大学院生)
発表テーマ:日本占領下の天津の中国人市民向けの音楽活動
【発表要旨】
戦時中の天津は、日満中三地を結ぶ華北地域の要衝であり、華北駐屯軍が駐在していた大本営となっていた。そのため、日本占領下の天津における音楽教育活動の実態は、日本が中国華北地域に対して行った教育政策の一環を反映し、また、天津に暮らしていた青少年の音楽生活も示している。本研究は二つの部分から検討される。まず、教師への育成方針や教科書の修正など、学校内の音楽状況を分析する。そして、日本軍への慰問や記念イベントを祝うために行われた学芸会や交歓会の中で演奏された曲目や参加者などを詳しく分析する。
発表2)合津美穂(信州大学非常勤講師)
発表テーマ:地方農村地域における台湾公学校児童の学習状況-学籍簿を史料として-
【発表要旨】
これまで台湾の公学校教育については、制度的側面に関する研究や国語教科書をはじめとする教材、とりわけ国語科については教授法に関する研究が蓄積されてきた。一方、教育の受け手である児童の学習の側面に関わる問題の解明が遅れている。本発表では、地方農村地域の公学校3校の学籍簿に記載された学業成績欄を手がかりとして、児童が学んだ教科目とそれらの成績について検討し、学習状況の一端を明らかにすることを試みたい。
発表3)王詩淇(九州大学大学院生)
発表3)王詩淇(九州大学大学院生)
発表テーマ:「満洲国」在住日本人初等学校第一・二学年の日本語教科書に描かれた日本人像-新学制後の『満洲補充読本』を中心に-
【発表要旨】
本報告では、「満洲国」在住日本人初等学校で使われた日本語教科書に焦点を当てて、その中の日本人像の特徴を分析する。具体的に、教科書における「日本人像」を皇室、為政者、官僚・役人などに分類した上それぞれの特徴を探求する。更に、他の民族の初等学校との比較を通じて、在住日本人初等学校の日本語教科書の特徴を考察しつつ、その裏にどのような日本の対在住日本人の教育政策の狙いが潜んでいるのかを明らかにする。また、これらの比較分析を踏まえたうえ、日本語教科書を通じてその作成背景として存在していた「満洲国」の教育政策や民族政策などが如何に教科書に反映されているかについても分析を加えたい。
***(午後)シンポジウム概要***
テーマ:「満洲・満洲国」教育史研究の固有性と独自性を考える
開催趣旨)佐藤 広美 会員(東京家政学院大学名誉教授)
- 私は、「満洲・満洲国」教育史研究の専門外の人間だが、素人ゆえにか、その魅力を率直に感じることができるのかも知れない。朝鮮植民地教育史、台湾植民地教育史研究と言いながら、満洲植民地教育史と聞くことがあまりないのは、なぜか。そこには深い理由がありそうだ。なぜ、満洲には、在住日本人子弟のために現地で作られた国語教科書『満洲補充読本』があるのか。台湾や朝鮮の日本人子弟には国定教科書があてがわれたのに。満洲だけに作られた特別の原因があるのかも知れない。野村章は満州を「大東亜教育」の構想を現実のものとする「先導的試行」の場所と考えた。満洲在住の日本人こそ、大東亜教育を担う人間にふさわしいという、その考えが早くに出来上がり、『満洲補充読本』が作られたという類推が可能となる。
- 磯田一雄は、『満洲補充読本』を作った石森延男に注目し、石森における、満洲、国民学校期、そして、戦後教育改革期の思想を検討した。植民地満洲―戦時下ファシズム期―戦後改革に通底する石森の思想(その複雑性と融通無碍)を露わにした。満洲教育史研究の一筋縄ではいかない、複雑性を厭わない覚悟を教えた。満洲教育の体験が戦後教育改革に生かされてしまうという、その「政治的な謎」の解明を窺う。
- さらに、満洲移民、引揚者、そして、満蒙開拓青少年義勇軍の研究(上笙一郎・白取道博)がある。公教育(教師が満洲に青少年を送り出す)と密接な関連を有し、軍事史研究の一環ともなる、この分野の研究が、「満洲・満洲国」教育史とどのような関連で解けばよいのか。いまだ、その関連(軍事と植民地教育)を真正面から説く者がいるのだろうか。
- 竹中憲一の「(教育制度)基礎研究」「教科書資料編纂」「オーラルヒストリー(民衆の聞き取り)」など、悉皆調査の(孤独で地道な)姿勢。槻木瑞生にみる植民地教育史研究の主流(?)に対する、あれこれと多角的な視点をぶつける孤高さ。満洲にいち早く「開発国家」「開発主義」を見て取った職業技術教育研究者の原正敏に、何を学ぶか。
- 「満洲・満洲国」教育史研究の「固有性」「独自性」を強く意識して、「整理」を超えて、その魅力を議論できることを願っている。
報告1)宇賀神 一 会員(西九州大学)
「竹中憲一の仕事―満洲教育の基礎的研究を中心に」
「年報」第24号で竹中憲一著『満州教育史論集』(緑蔭書房、2019年)を紹介した際、「『満州』で展開された教育を考える場合、いつの時期を対象にするか、どの地域に注目するかにより様相が異なるため多角的な必要になる。そうした『満州』教育史をめぐり。著者の関心は広範である」(215頁)と書いた。発表では、制度的な基礎情報の整理、教科書の復刻、インタビュー調査など「広範」な竹中氏の仕事を跡づけていく。
報告2)山本 一生 会員(東洋大学)
「槻木瑞生の仕事-民衆の「心のひだ」に分け入る満洲教育史」
槻木瑞生は「日本旧植民地における教育-1920年代の「満州」における中国人教育を中心として」(『名古屋大學教育學部紀要教育学科』20号、1973年)を発表して以来、確認できた限りで69本(うち満洲教育史47本、朝鮮族14本、仏教8本)の満洲教育史関連論文を発表し、精力的に研究してきた。槻木の目線は日本/中国といった国家間同士の関係ではなく、地域に住む具体的な人々に注がれた。槻木は度々、「心のひだ」という表現でこの目線を語っている。そこで本報告では「心のひだ」を通して、槻木が行った研究の意義を捉え直すことを目的とする。
報告3)丸山 剛史 会員(宇都宮大学)
「原正敏の仕事-職業技術教育史研究はなぜ満洲に関心を寄せたのか」
故・原正敏は、『日本近代教育百年史』の「産業教育」編の原稿を執筆するため、日本における工業教育、技術教育に関する営みを調査し、資料収集を行った。その際に、軍と植民地について検討する必要性を感じたという。その後もこの課題意識は保持され、東京大学から静岡大学を経て、千葉大学に配置換えとなった頃、関係者と接触するようになり、科学研究費を得て研究が本格化していった。名古屋大学教育学部技術教育学研究室編集・発行『技術教育学研究』誌に掲載された論考がその集大成的性格をもつ論文である。報告では、原の研究の軌跡をたどりながら、シンポジウムのねらいに接近していきたい。